子どもは、体操を続けたがっていました。
「なんでやめるん?」
そう聞いたときは、寂しそうな表情だったそうです。
それを聞いた私は、胸が締め付けられるような思いになりました。
それでも、その教室をやめさせたことについては、今でも間違っていなかったと思っています。
体操をやめさせたかったわけではない
わが家では、子どもが年中のころから体操を習っていました。
子どもは体操そのものを嫌がっていたわけではありません。
むしろ、楽しそうに取り組んでいました。
だから、私たちが体操をやめさせたかったわけではありません。
やめさせたかったのは、その教室でした。
気になったのは、教室の安全面
その教室に通い始めて、私が気になるようになったことがありました。
体育館には、高いところまで登れる設備がありました。
子どもが登って遊ぶこともできる設備でしたが、そこから落ちた場合に、十分に守れるような対策がされているようには見えませんでした。
もちろん、体操にはある程度の危険があることは分かっています。
だからこそ、私が気になったのは、その設備そのものだけではありません。
そこに子どもが登っているとき、先生がその危険を特に注視しているようには見えなかったことです。
私には、子どもの安全に対する意識が十分に高いようには感じられませんでした。
一度そう感じてしまうと、子どもをその教室に通わせ続けることに不安が残りました。
ここは、迷わなかった
今回の判断で、私自身はあまり迷いませんでした。
「子どもは体操が好きだけど、どうしよう」
という迷いはありませんでした。
安全に関わることなら、体操を続けることよりも優先すべきだと思ったからです。
安全には変えられない。
そこについては、夫婦で大きく意見が割れたわけでもありません。
だから、その教室をやめるという判断自体には、後悔はありません。
でも、子どもの反応はつらかった
ただ、子どもがどう思ったのか。
そこは、やっぱりつらいものでした。
子どもにやめることを伝えたのは妻です。
私はそのときのやり取りを直接見たわけではなく、妻から聞きました。
子どもは、
「なんでやめるん?」
と、寂しそうにしたそうです。
その話を聞いたとき、胸が締め付けられるような思いがしました。
親としては、安全のために必要な判断だと思っている。
でも、子どもからすれば、好きだった体操を突然やめることになる。
「かわいそうだな」とは思いました。
それでも、だからといって続けさせることはできませんでした。
別の体操教室も探した
私たちがやめさせたかったのは、体操ではありません。
安全面で納得できなかった、その教室です。
なので、別の体操教室も探しました。
子どもが続けたいと思っているなら、できれば体操自体は続けさせてあげたかったからです。
ただ、時間や教室までの距離などを考えると、わが家の条件に合うところが見つかりませんでした。
結果として、その教室をやめるだけではなく、体操そのものをいったんやめることになりました。
判断は間違っていない。でも、残念ではある
今振り返っても、あの教室をやめさせたことは良かったと思っています。
安全について不安を感じたまま、子どもを通わせ続けることはできませんでした。
一方で、子どもが好きだった体操までやめることになったのは、残念でした。
できることなら、安全面でも納得できる教室を見つけて、体操を続けさせてあげたかった。
でも、そのときのわが家には、それができませんでした。
子どもが「続けたい」だけでは決められないこともある
習い事は、できるだけ子どもの「やりたい」「続けたい」を大切にしたいと思っています。
実際、子どもが楽しそうにしているなら、親としても続けさせてあげたい。
でも、今回のように、安全について親が納得できないことがあれば、子どもの気持ちだけで決めることはできませんでした。
子どもは続けたかった。
私は、その気持ちをかわいそうだと思いました。
それでも、やめさせたことに後悔はありません。
「子どもの気持ちを尊重すること」と「親が子どもの安全を守ること」は、いつでも同じ方向を向くとは限らない。
今回の体操では、そのことを実感しました。


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